那珂湊市発行「那珂湊の地名」の記述なし!!
<管理人のコメント〉
数々の地元史「平磯誌」、「那珂湊の地名」、「平磯海水浴場誌」などに全く記載のない不思議な神社です。
ここは管理人の私が自由な発想で加賀穂稲荷の由来を推測してみましょう。
加賀穂稲荷の境内の石柵には数々の寄進者の名が掘り込まれており、5円、1円という寄進額から大正末期から昭和初期の石柵と予想されます。「那珂湊の地名」ではこの神社の鎮座している清水町は江戸時代には殆ど人家は無く、田んぼが広がっていたとありますので、創建は明治以降なのかも知れません。
では人家もまばらなこの土地に何故鎮座しているのでしょうか?
別項で説明しますが平磯の地形にも関係していると思います。
平磯は稀に見る典型的な海岸段丘の地形で、一目で見える大きな崖と、海岸へ進むにつけて1m程度の段差が何段かある地形です。現在は姿を消してしまっていますが、実は大きな崖に中段の崖があったのです。其の名残は幾つかの神社が崖の中腹に鎮座している事で想像できます。
平磯の神社やお寺は、其の殆どが創建当時は中段の崖に鎮座していたのです。
昭和九年前後に、海岸道路や湿地の埋め立てのために中段の崖は削り取られてしまいました。
加賀穂稲荷も本来はその中段の崖にあったものが、今の高さの場所に作り直されたのではないでしょうか?
現在の境内はあまりにも手狭で、狭い境内の中にお狐さまや石灯篭、複数の祠が立ち並んでいます。
この場所は本来、崖の中腹へ伸びる参道の一部だったと予想しています。
創建当時は大蔵稲荷や三峰神社のように、高台から平磯の住民の安全を見守っていてくれていたのだと思われます。
しかし、どうしてこの神社の事が地元誌に何の記述も記載されていないのでしょうか。新たな疑問が発生します。
この神社の鎮座していた場所の上、崖の最上段には卵塔場があったのです。
当時、平磯町内に散在していた墓所のひとつです。
加賀穂稲荷の参道は卵塔場へ続く道にもなっていたと思います。
寺が無かった卵塔場を守っていたのも加賀穂稲荷だったのではないでしょうか。
その為に地元史にはあまり触れられていないのだと管理人は想像しております。
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