<管理人のコメント〉
沢メキ稲荷には私も思いいれがあり、其の上、平磯を語る上でも重要と思えましたので、このページはとても長文になってしまいました。
「ザワザワ川」は私の子供の頃にはその水量も僅かしかなかったが、「ザワメキ」、「ドウメキ」と地名を残すほどなので、水量の多い川だったことが推測できる。その水源は「昔の池」だけではなく、平磯ケ原と呼ばれた畑地(鶴代)、(道メキ)などが森林や草原であった頃、そこから流れ出る雨水が一箇所に集まったものなので、相当の水量だっただろう。
その貴重なザワザワ川を神と崇めたのが(ザァーメキさま)であり、別に稲荷神社である必要も無かったと思われる。
この神社は元来十mほど平磯側にあり、丁度隣り合わせた横断歩道の中ほどに鎮座していた。
横断歩道中央にあるマンホールが「ザワザワ川」の名残である。
昭和五十年代に水産加工団地が開発され、その平磯側の道路の拡張の為に移転を余儀なくされた。
殿山の坂の麓にあったので、現在よりも高い立地で神社に上がる階段の高さは二m以上あったと思う。
階段は、正面のほか平磯側にもありお社のすぐ脇に昇ることが出来た。
沢メキ様へ上がるときには、殆どがこの平磯側の階段を使っていたように思う。
境内の広さは現在の半分ほどで、お社も大分うらぶれていた。
境内は篠竹で覆われコンクリートで舗装された幅五十cm程度の参道と、
お社の周り以外は足の踏み入れる余地もなく、
篠竹の藪の中にあった手水舎や狛犬などは、其の姿をよく覚えていないほどだ。
ただ、少し変わった狛犬だったと記憶していて、
溶岩のような赤褐色の石で岩場を表現して、別の石で狛犬本体を造っていた。
<狛犬があったという事は、ザァーメキさまが、必ずしも稲荷神社である必然性が無かったことの根拠である>
そんな場所だから子供たちの絶好の遊び場になり、「肥後之守」を持って篠竹をきり
弓矢を作っては、納められた達磨を的にしていたのである。
また、当然のように「隠れ家」、「基地」を篠竹の中につくり、中には海岸で拾ってきた物等を並べていた。
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